経営者の責任

どうでも良い事から始めますが、僕のはとこが大手商社のM、まあ“商事”か“物産”かしかないのですが、そちらに転職している。それでキャリア転職組のHPに載っている。おーすげえ(笑)。だから、可愛いといえば可愛い。う〜ん、今の僕と比較されるとなあ。何を構想しているのか、それは余人には分かりにくいものだと思う。一言で言うと、道が無いのであれば創るまでだ、うん、それしかないから、今はどれだけ蔑まれても(苦笑)、我が道を行くしかないのです。
ところで、彼女が勤務する商社の上級職で退社された方と一時、懇意になっていたのですが、女子は経営に不向きだ、という事で結論が一致しました。ちなみに、地元に帰ってある経営者の方と再度お会いしたのだが、そこでも女子は経営には不向きだ、と。ただ、こちらの場合は、自分の後を継ぐ人間が自分の娘になるのかも知れない、という事での悩みもあったようですが、とりあえずそんな結論が出ている。ところがですね、僕もその経営者の方も女子の社会進出にはすごく肯定的なのですよ。理由は色々とあるのですが、合意した結論だけで言えば、男だけだと馬鹿ばかり、というか馬鹿になる、という事でして、思想的なフェミニズムからの要請ではない。むしろ公平さを重んじている処からの要請でもあります。
それではなぜ女子の経営者が不向きなのか、それは責任論からの要請です。業務が言えない点ですごく残念なのですが、ある業務のために本来的には切れない人間がいるのです。そうでなければ業務を果たせない。ところが、様々な理由の元にその人間を切らなければならない。これでその方はすごく考えたそうです。そしてその方の判断は、自らの責任に於いて、その対象者を切りました。もちろん、ただで切ったわけではなくて、ある程度の方向に進めるように、その人間の人生を閉ざしてしまわないように配慮して切った。こういう点が、僕が未だにその方と懇意にする、地元に帰ったら会ってしまう理由なのですが、逆に言うと、女子だったらそこまでやるのか。まあ、男でもそういう奴がいるので、これは偏見といえば偏見なのだが、実際の処、駄目なものは駄目だと分かっているわけですよね。だったら簡単に人を切れるかというと、そうじゃない。ところで、昔の日本企業は、それはそれで様々な問題があったそうだが、経営層が解雇をする場合は自らその責任を取って辞職したそうです。
ところで、もう一方の商社の方が挙げる理由は、恋愛以上の修羅場の世界だから、という事です。これもけっこう納得が行く。言い方が悪いが、恋愛以上の理不尽さというか、もう少し言えば自己正当化など出来る世界ではないので、例えば某女性国会議員を見てもそれは分かる事ではないか。こういう場合は、男の方が酷いんだよね。おーおーよくやるよね。そんな事ばかり。ちなみに、僕はそれで思いっ切り足を引っ張られ梯子を外された事があるので、憤懣やるかたない。これは経験してみないと分からないのですよ。これは俗に男の嫉妬という。男同士の、女よりも恋愛の距離感が近いからこその起きる問題でもある。
それでですね、恋愛も責任といえば責任でして、大人だったら自分の恋愛に責任を持て、と昔から思っていたのだが、仕事もそれに近い要素があるわけです。昔は、public-privateの区別を厳密に考えていたのだが、最近はそうでもなかろうというか厳密に区別しようと思えば思うほど無理が来る。こういう言い方もなんですが、好き嫌いだけで恋愛は出来ないし、それに好き嫌いのlevelで終わる恋愛は、ある意味で恋愛の奥深さを分かってないのではないか。そうすると、これは仕事にも言えるわけで、恋愛と仕事との単語を置き換えてもそれは十分に通用するものだろうと思うのです。とするとね、空騒ぎだの合コンだの、やってられるか。まあ、そういうものが僕自身が好まないという事もあるのだが、やっぱり無理だなあ、と。(小声で)大体、女遊びをしたければ、大学期でやっておけばいいし、それで十分だろうと思うのだが。
今日は、本当は別の事を書く積りだったのだけど、経営者論になってしまいました。ちなみに僕はだからといって女性経営者を全く否定していません。分かりやすく言うと、世界史上で女性の名君主はいるでしょう。そういう話です。ただ向いている女性は少ないなあと。そういう事で