fuku33さんのcommentで削ったもの

長くなると失礼になる、これまで十分に長い書き込みをしているのだけど、とりあえずcomment用に書いたメモの備忘録として。

実は経済社会の中で全く制御できない消費空間がある。この点で外的整合性と記号消費論は幾らかの親和性があると考えます。それとは逆に、実体的価値、意匠的価値が、生産工程までで組み上げられるものだとすれば、内的整合性と制御可能性の親和性がある。そこで、経済社会の消費空間を考える際に、出来うる限り記号消費論的な要素を減少させて、供給者に制御可能な要素を増大させるものなのである。
ただもう一方で経済社会に認知の乏しく、従って需要の目処が立たないような、新しい商品を生産者が供給する場合に、それがどのような「意味」を持って商品を買われるか分からない。そのような販売工程内においては外的整合性が重視される事になる。ただそれはやはり外的整合性を内的整合性に変換していく事に繋がる。

生産工程や販売工程の方から、それは工程に載せられないという事での制御可能性。生産工程の中で制御できないものがあるとすれば、生産管理的には大きく拙い事になる。但し、これは内的整合性になる。

「効率よく」という事は、製品を生産して販売する過程に「非効率な」面がある。それを修正して効率的な開発−生産−販売をするための論理なのか。

他にもあるのだが、文章化したものがこれだけなので。